仕事の話アレコレ

自らもわかりにくくなってきた自分のスキルセットを整理してみる

26歳の頃、僕はグラフィックデザイナーからWebデザイナーに転身しました。
そして、ここ最近は「Webディレクター」という肩書きで働くようになっていて、自らは手を動かさずに制作を指揮するケースもあります。できることが増えた反面、自分が何者なのかがわかりにくくなってきたここ数年。僕が本来何者で何ができる人間なのか、今現在(32歳)の自分のスキルセットを整理してみました。

でこそ、社内外から「Webの人」みたいに思われて自らも何の違和感もなくなってきているけれど、自分のデザイナーとしてのベースはWeb業界にくる前に培ったものが大きかったと思っています。

僕は学生時代、個人的に先輩から仕事をもらったり、広告制作会社でアルバイトをしたりして、徐々にこの業界に足を踏み入れていきました。
1980年生まれの僕からすると、Webの「デザイン」を仕事にするっていう感覚は学生時代にはなかったんです。学生の頃、サークルやゼミの「ホームページ」は僕が作っていたけれど、当時のWebは「デザイン」するものじゃなかった。
だから、イラストレーターやグラフィックデザイナーとして印刷物を作る仕事をしたい、というところから僕のデザイナーとしてのキャリアははじまっています。

26歳までのグラフィックデザイナー時代

ひたすら旅行系雑誌のデザインを作りながら、このままじゃヤバいと思ったのが26歳の頃

学生時代にはアレフ・ゼロ(現コンセント)にもアルバイト(のちにフリー契約)で所属したことがあったんですが、そこで初めてシステマチックにデザインを分業する仕組みを知りました。当然ですが、定期発行の雑誌はチームで作っていかなきゃ成り立たない。
僕もアートディレクターに面倒を見てもらいながら、自分の担当ページをいくつか任せてもらっていましたが、今思えば、ここで学んだことが一番大きかったかな。

それまでは個人で仕事をもらったり、アレフ・ゼロ所属以前のアルバイト先だった広告制作会社でも個人でやり切る仕事が多かったので、チームでひとつのものを作るメソッドを学んだのがひとつの収穫。そして、それまで自己流でやってきたデザインについても、いろんなアートディレクターと一緒に仕事をさせてもらえたことで、深く考えさせられました。
デザインについて、真剣に考えたのはこのときが初めてだったかもしれない。

その後、学生卒業とともにアレフ・ゼロを去り、本格的に社会人としてのキャリアをスタート。
最初は小さなデザイン事務所で死ぬほど働きました。毎日のように徹夜。やってもやっても仕事が終わらない。自分のスキル不足をはっきりと痛感した瞬間だったし、何よりも「このままこんな仕事をしていちゃいけない」と思ったのでした。

ただし、この頃、泥沼のなかで得たものは自らのスキル不足の認識であると同時に、「自信」でもありました。人間、たいていのことは頑張ればできる、という自信。
自分の限界を身をもって体感したからこそ、「この案件・スケジュールはどんなに頑張ってもムリ」という線引きもできるようになりました。
これはある程度人数のいる組織ではできない経験だと思っていて、自分のなかではとても貴重な経験のひとつです。

エンジニアたちとともに過ごしたシステム開発会社時代

JCCH・セキュリティ・ソリューション・システムズのコーポレートサイト構築には僕も携わらせてもらいました

グラフィックデザイナーとしての自らのスキルの限界を知り、お金もぜんぜん稼げない、という状況を打開するために、半分逃げるような気持ちで飛び込んだのがWeb業界でした。
まだ26歳で、新しい技術を覚えはじめるのにもちょうどいい年齢だったと思うし、IT好きの僕には元来紙よりもWebのほうが向いていたのかもしれない。

僕がWebでのキャリアをスタートさせたのはシステム開発のベンチャーだったので、業務のキーマンとなるのはエンジニアたちでした。
WebベースのシステムのUIやビジュアルデザインを担当しながら、自然にコーディングを身につけていきました。
何かわからないことがあったら、すぐ隣に優秀なエンジニアたちがいたのが大きかったかな。知らぬ間にひとりでWordPressを使ってサイトが作れるようになっていました。

デザイナーとしての自分のアイデアをかたちにしてくれるエンジニアとの仕事は本当に楽しかった。
当時お世話になった方々の多くは今、JCCH・セキュリティ・ソリューション・システムズ という会社を立ち上げて、PKI(公開鍵基盤)という認証技術で超一流企業に対して認証ソリューションを提供できる企業になっています。頑張れ。

そして今の僕は、というと

現所属先のシータス&ゼネラルプレス(入社時はゼネラル・プレス)に入社したのは2009年2月。

僕が前職を辞めたのは、もう少し一般ユーザーに見てもらえるようなWebの仕事に携わりたかったからです。システムのWebユーザーインターフェースを作るのって、すごく楽しい。勉強になる。だけど、デザイナーとしては物足りない部分もある。
Webを極めるという意味では、Web 1本で勝負している会社への転職も考えましたが、自分の売りは決して「Webの専門家」ということではないのだと思っています。

今、自分の名刺には「Webディレクター」と書かれていますが、僕自身は「ディレクター」とか「ディレクション」っていう言葉は正直あまり好きじゃないんです。なんか自分で手を動かしている感じがしなくて。
この業界では「Webディレクター」と名乗ったほうがお金がもらえるらしいので、とりあえずそう名乗っておきますが、僕は常時デザイナーでありたい。

ディレクションは、デザインの延長に発生する自然な業務。
デザインはもちろん、コンテンツのプランニングや顧客との折衝、テキストのライティング、フロントエンドの開発、エンジニアとの調整までを行うのが「Webデザイナー」だと僕は思っているので、変に分業化された組織で働くのは僕の趣味じゃない。
そういう意味で、今の僕は自分にできることを自分の判断である程度やらせてもらえるようなポジションにいるので、仕事はとても楽しい(ものが多い)です。

今の自分のスキルをビジュアライズするとこんな感じ(下図)かな。

2012年12月現在の僕のスキルセット(クリックして拡大表示)

今はまだまだ見えていないスキルも多くて、この図には僕の目にはまだ見えないスキルは記載されていません。今はとにかく、中心はずらさずに、この円を徐々に外側に広げていければいいと思っています。

ひとつのことを極めるためには、いろんな知識やいろんな人との関わりが必要になってきます。
そして、5年後、10年後も僕のスキルセットの中心にあるのがWebかというと、そんなことはないかもしれません。Webでこの先も食べていけるかどうかはわからないし、その危機感は常に持っておくべきだと思っています。
30歳を過ぎると、どうしてもこれまでの貯金で生きていこうとしちゃうけど、新しいことから逃げちゃダメだと思う。

そういうリスクヘッジも含めて、このスキルセットの円を独力で広げていく努力は絶対に怠るべきではないんだけれど、それでも、すべてを自分でできるようになるのは不可能。
だから、自分にできないところをカバーしてくれるパートナーをいかに見つけるか、というのはすごく重要になってきます。

ただし、大前提として、優秀なパートナーと組むためには自分自身が優秀でなければならない。
お互いにとってメリットがなければパートナーという関係は成立しないのです。当然のお話。

自分の価値は市場が決めるもの。
「デザインができる」って自分で言うのは簡単だけど、本当にできるかどうかは自分が決めるものじゃない。そういう謙虚な気持ちはいつまでも忘れず、焦らずゆっくりでいいから、これからも高みをめざしていきたいものです。

Comment / Trackback (2)

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