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『背番号94』に学ぶ

週末のNHKのスポーツ番組にもかつて出演していたノンフィクション作家、山際淳司氏。1995年、胃癌により46歳の若さで亡くなった故人の代表作『スローカーブを、もう一球』(角川書店, 1981年)は、僕のなかで忘れられない小説のひとつ。
なかでも、高卒ルーキーとして巨人に入団後、わずか3年で解雇されてバッティングピッチャーへと転身した黒田真治投手の姿を描いた『背番号94』という短編小説は、今でも僕の脳裏を決して離れることのない名作なのです。

学生の頃、ほんとに何気なく手にとった文庫本でした。
当時、歴史に残る文学作品ぐらいは読んでおこうと、三島作品を中心にいろんな小説を読み漁っていたんだけれど、たまたま大学の購買で平積みにされていたのが『スローカーブを、もう一球』という名のノンフィクション小説。

スポーツ好きな僕は、NHKのスポーツ番組に出演していた山際淳司を知っていたし、彼が若くして死んだことも知っていました。別に目当ての本だったわけではないけど、何となく買ってみた。
それが僕の『背番号94』との出会いでした。

あれからもう10年以上。そのうち友人に貸して、そのまま行方不明になってしまった 『スローカーブを、もう一球』 がなぜだか突然読みたくなって、Amazonで購入してみました。

今さらそういわれたっておそいんだから

「背番号94」こと黒田投手は、甲子園には出られなかったものの千葉県立下総農業高校野球部のエースとして県大会で活躍し、ドラフト外とは言え巨人に入団してしまうような選手でした。

ただし、彼が甲子園に出られなかったのは、県大会で連投を続けながら準々決勝まで勝ちあがった夜、友人たちと酒を呑んで二日酔いになってしまい、準決勝に勝てなかったから、という何とも拍子抜けしてしまう理由。

黒田投手の物語は、全編にわたってあとほんの少し、もうちょっとだけ我慢できたなら……。ちょっとだけ早く何かに気づいて、ライバルを押し退けて這い上がることができたなら……と思わせるストーリー。

実際、人生にはいろんな誘惑があって、ほとんどの人がその誘惑に負けてしまうんだと思います。
そして、誘惑に負けたくないと思っていても、他人に付き合わざるをえないような状況というのは確かにある。お人好しすぎると結局のところ最後まで自分を貫くことができない。

愛する人や家族とも、友人や知人とも、先輩や後輩とも、上司や部下とも、どこかで自分なりの一線を引かないと、いろんなものが歪んできて、いろんなものに縛られて身動きできなくなってくる。

失敗を繰り返して人間は成長するはずですが、大失敗に至る前に常に軌道修正をはかっていかないと取り返しのつかないことになる。
そういう意味では、僕ももう失敗のできない年齢になりつつある。ときに大胆に、しかし慎重に、常に軌道修正をしながら生きていかなきゃ、と思うのです。

たまにいわれるんですよ。いいカーブ持ってるじゃない、なんてね。オレ、喜ぶべきなのかね。考えてみれば、わるい冗談ですよね。今さらそういわれたっておそいんだから。もう、あともどりできませんもんね。

シラけた人間から敗れていく

真の天才はいないと僕は思ってます。すごいヤツほど絶対にどこかで隠れて努力をしてる……。そう割り切らないと僕自身もやっていけない。
才能とかセンスってのは確かに存在すると思う。だけど、人間にとって一番の才能は努力ができるということなんじゃないかな。

部屋は休むためのところじゃなくて、各人がひそかに練習をするトレーニングルームなんですよ。そんなこと誰も教えてくれませんよ。表では練習なんかテキトーにやってればいいんだといってるいるけど、そういうやつに限って部屋でひそかに練習してるんだなんて、誰も教えてくれない。

シビアだけど、言うなれば仲間だってライバル。プロスポーツの世界なんてその典型だろうけど、サラリーマンの人生だって言ってみればそうだよなぁ。

深夜の秘密練習なんていうと、まるで星飛雄馬みたいでしょ。巨人の星だよ。でも、タオルつかんで黙々と(シャドウ・ピッチングを)やってると、時々、フッとバカバカしくなってくるんですよ。格好よくないしね。
これをやっていればいつの日か……なんて信じられないんだ。

そして、その現実にシラけた人から夢破れていくんだ、と。何となく、彼の言わんとすることはわかる気がします。

自らをアピールすることに、シャイでありすぎた

人間、絶対にひとりで生きていくなんて不可能。
どんな一匹狼タイプの天才だって、ひとりですべてをパーフェクトにこなす人間なんて僕は見たことがない。絶対に仲間が必要です。

仲間と言っても、仕事で組む仲間は「なあなあ」で緩くやっていくつもりは僕にはない。ときにぶつかり、反発し合うぐらいの関係じゃなきゃ、いいものは絶対に生まれない。何かを生み出すことは常に戦いなんだ。

ただし、それはあくまでも僕の個人的な考えだから、組織で生きていくなかで周囲の人たちすべてにそんなスタンスを押し付けるつもりは毛頭ないです。普段の僕は、適当でヘラヘラしてる変なヤツでいい、と思ってる部分も確かにある。

キャッチャーにふだんから、何かとサービスするなんてことが、ぼくにはできないんですね。登板チャンスが少なすぎる、もっとアピールすればいいじゃないかって、よく野手の人たちからいわれましたけどね、そんなミットモナイことできるかって、いつも思っていましたからね

嫌らしい話かもしれないけど、そういう「偽り」のコミュニケーションをはかる努力だって現実には必要。正直で誠実であればあるほど、逆にそういうコミュニケーションの在り方には悩むところかもしれません。

勝者といわれるために、はなばなしくそしてやみくもに階段をかけあがっていく者がいる。その陰にはそこから取り残される人間がいなければならない。歴然とした力の差でおちこぼれていく人間がいる。力の差ではなく、むしろ人生に対するスタンスの差で置き去りにされる人間もいる。

自分への戒めであり教訓であると同時に、自分の部下や後輩たちにもぜひよく考えてみてほしいと思える一節。能力と努力だけではどうにもならないこともあるし、その逆も世の中にはあるんだ、と。
「人生に対するスタンス」ってのは、なかなか簡単には変えられないけどね。

僕はこれからも、大きな壁にぶつかり、前に進めなくなったときは『背番号94』を読み返し、反芻することにしようと思います。

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