食と暮らしのエトセトラ

3年半、ずっと「パニック」だった

おかげさまで、本日33歳を迎えることができました。ようやく精神も肉体も復調と言っていいレベルまで来たと思うので、誕生日の今日カミングアウト。からの復活宣言。
29歳で発症してからおよそ3年半、僕はずっと「パニック障害」という病気と闘ってきました(今だって発作が起きない確信はないけど)。正直言って、今でも人混みや電車など閉鎖的な空間はちょっと怖いけれど、パニック発作(僕の場合は主に吐き気)を起こすことはほとんどなくなりました。今後は徐々に無理なく行動範囲を広げていきたいと思います。
急がず休まず(Haste not, Rest not.)。

ぜか自分は肉体的にも精神的にもタフな人間だというまったく根拠のない自信があったからこそ、医師から正式にパニック障害と診断されたときはショックが大きかった。

発作が頻発するときはとにかく満員電車に乗るのが辛くて、1〜2駅の距離しか車内にいられないほど。発症当時、実家暮らしだった僕は40分以上電車に乗って通勤しなければいけない毎日でした。通勤途中に急激な吐き気(パニック発作)に襲われて、逃げるように電車を途中下車しては仕方ないから次の駅まで歩く、なんてことを毎日繰り返していました。

それまでの人生、病気や怪我とはほぼ無縁で過ごしてきたからこそ、余計にこの3年半は辛かった。
一時は鬱状態がひどくて、死にたいなと毎日のように思ってたこともあったよ。冗談じゃなく。
でも、もう大丈夫だと自分に言い聞かせるために、今日ここに復活を宣言します(ブログでしか近況をご報告できない人もいるし)。

パニック障害という名の病

とにかく電車が怖かった。満員電車に乗るたびに、死ぬんじゃないかと思ってた。今も極力電車は乗りたくないけど、でも、もう大丈夫

芸能人やスポーツ選手も多数発症し、今でこそ社会的な認知も少しずつなされつつあるこの病気。
最近は、精神病というよりは脳機能障害に分類されるそうです。

パニック障害 – Wikipedia

僕の場合、発症のきっかけは朝の通勤ラッシュの電車内で突如襲われた吐き気でした(2009年の秋)。
すぐに病院に行って胃カメラを呑んだら、胃炎と診断されて1週間近く会社を休むことに。社会人になってから、平日にこれだけ長く休んだのは初めての経験でした。
当初はただ胃の調子が悪いだけだろうということで、たいしたことはないと思っていました。事実、処方された胃薬でだいぶ体調は回復。
依然として胃にムカつきは残っていたものの、1週間後には職場復帰しました。

しかしその後、電車に乗ると吐き気を催すという症状が繰り返し現れるようになります。
実際に吐くことはないんだけれども、なぜか冷や汗と吐き気が止まらなくなる。自分はこのまま死ぬんじゃないか、と。
ドアが閉まって動き出すと、次の駅に着くまで身動きがとれずにどこにも逃げ場がない満員電車なんて、もう恐怖以外の何物でもない。
次第に会議室、セミナー会場、レストラン、映画館、ライブ会場など、不特定多数の人がいる密閉空間に身を置くことに恐怖を感じるようになりました。とにかく気分が悪くなって吐き気が収まらない。冷や汗が出てきて、ひどいときは気を失いそうになる。
もともと人見知りする性格だし、知らない人がたくさん集うような場はそもそも苦手です。しかし、だからといって人混みに身を置くだけで自分の身体や精神状態にこれほどの異常を感じたことはなかった。

人生、多少のことは根性でなんとか乗り越えてきたつもりだけれど、突如襲われる吐き気は根性ではなかなか解決できませんでした。だって、原因がよくわからないんだもの。
それでも、2010年は自分を騙しながら、なるべく人混みを避け、できる限り長時間電車に乗らないようにしていました(実家まで電車で40分の距離を、1時間以上歩いたりして少しでも電車に乗る時間を減らしたり)。そして仕事はもちろん、プライベートでも閉鎖空間に複数の人が集うような機会は極力回避しながら過ごしてきました。

震災が起きた日も、会社に泊まるのがどうしても嫌で6時間歩いて実家まで帰った。不思議なのは、ひとりで会社に残って徹夜仕事してても全然平気なのに、多くの人が周りにいて身動きがとれないような状況に陥ると発作が起きるところ。
胃が悪いとかいう問題じゃなくて、「これはもう、完全にメンタルの病気だな」というのはもちろん自覚していました。

祖父の死をきっかけに

電車が怖くて、飛行機なんて乗れるはずもなく。両親ともに九州出身の僕は、本来、飛行機には乗り慣れていたはずなのに……

2011年の秋、電車通勤を回避するために実家を離れ、都心でひとり暮らしをはじめました。
本当はもう少し早く実家を離れるつもりでいたけれど、震災があったためにタイミングを逃してしまいました。
そして、電車通勤から解放され(徒歩通勤になりました。現在は自転車通勤)、だいぶ落ち着きを取り戻したところにやってきたのが佐賀で暮らしていた祖父の死。

もちろん葬式に行かなくちゃいけないはずだったんだけど、どうしても飛行機に乗ることができなかった。あの閉鎖空間に身を置くことが怖くて。
そして、当時は身内にさえ打ち明けていなかった自分のココロの問題を、自分に近しい人たちだけにはどうしてもカミングアウトせざるをえなかった。さすがに祖父の葬式には「行きたくないから行かない」なんて言えるはずもなく。

メンタルクリニックに通いはじめ、初めてココロの病と真剣に向き合ったのは、結果として祖父の死がきっかけでした。
正式に「パニック障害」と診断されて、治療開始当初はわりといろんな薬を飲んでいました。当時はやっぱり、眠かったり、集中力が続かなかったり、ダルかったりってのがあったんだと思います。攻めの発想とか行動ってなかなか起こせなかった。
もともと僕は、仕事においてはよくも悪くも自信家なほうだと思うけど、何より自分のココロとカラダに自信が持てないことがいろんなところでマイナスに作用したと思います。
でも、病院に通うことで確実にメンタリティは改善された。薬の量も徐々に減っていって、発作を起こすこともだいぶ少なくなった。

一方で、ものすごい勢いで太りました。
薬のせいではないらしいけど、精神的に安定したからか食事量が増えたんでしょう。そして、薬が減るにつれてココロを落ち着かせるために自然とアルコールの量が増えていたような気がします。なおかつ運動をほとんどしなかったので、今度は肉体がどんどん不健康に。
今年に入ってからはメンタルよりはむしろ生活面の不摂生がたたり、カラダのほうが音を上げていたのかもしれない。一時的にパニック発作が復活した時期がありました。

どうにもココロとカラダのバランスがうまくとれないな、と。
だから、今年に入ってカラダを徹底的に鍛えることにしました。
やっぱり、ココロだけじゃなくカラダも健康にならないと、ということです。

1月から4月現在まで、筋力トレーニング&ランニング中心の運動と食事制限で体重を10kg以上落として、体脂肪率も一桁(8〜9%)まで落ちました。
見た目にはアスリートとさほど遜色ない肉体を手にして、自分のカラダに自信が付いたことでメンタル面にも余裕が生まれてきた気がします。カラダが丈夫だから多少のことではヘコたれない、というまったく根拠のないココロの余裕が。
やっぱりカラダとココロはつながってるんだな、と。どっちかが欠けると、自然と両方ダメになる。

ココロとカラダに余裕を持つこと

スペアがあるから全力投球ができるわけで。甘えてばかりじゃダメだけど、サポートを少しは期待しないとチャレンジなんてできないでしょ

仕事をするうえで「質より量」が大事な時期は絶対にあると思います。

効率よく短時間でよいアウトプットが生み出せるようになるのは、それなりの量をこなしてきた経験があってこそ。そして量をこなすためには、やっぱり長い時間働かざるをえない。
そういう「質より量」という働き方がもっともしやすいのは体力・気力が充実している20代のうちでしょう。
自分の限界を身を以て体感した人間はやっぱり強いと思います。いろんな意味で。

僕もそれなりの経験を積んできたつもりではあって、30歳を過ぎた頃からある程度自信を持って言えるのが、普通のWebサイトをデザインしていて行き詰まることはほぼないということ。
片手間にデザインしてる、とまでは言いませんが、デザインに全神経を尖らせるような瞬間は必要なくなってきました(というか、それ以外の仕事が多くて、そうならざるをえない)。
そういう意味で、作業者としてのスピードとキャパシティは自分でも確実に20代の頃よりは進歩を感じます。
もちろん、今でもアウトプットに多少のムラは自覚してるし、いろんな事情で修正に次ぐ修正をやらなきゃいけないような案件はありますけれども。

そうして年齢を重ねるにつれて生まれた余裕をどこに割り当てるか。
僕は結局デザイン仕事が好きなので、プライベートで何かを作ることに割り当てがちなんだけど、それはそれで大事にしつつも「人間、上手にサボることも大事だなぁ」と最近は強く感じます。
下手に生き急いでも仕方ない。ハングリー精神とか、根性とか、体力勝負とか、そういう要素をまったく否定するつもりもなければ、むしろ大事な要素だと認めつつ、最近はストイックな自分を解放するための休み時間を意識的に作るようになりました。

ココロとカラダの限界点に少しはバッファを見ながら過ごしていかないと、やっぱり疲れる。というか、壊れちゃう。
それでも、やる時はとことんやらなきゃだし、できるだけたくさんアンテナを張り巡らせて、少しでも多くの「気づき」を得ようというマインドはこれからも常に保ち続けるつもりです。

何事も、大事なのは「バランス」。
最近になって自分の考え方が変わったと実感するのは、多少マイペースに、長い目で見て、結果的に少しでも前進してればいいかな、と思えるようになったこと。ダメな自分を多少は許せるようになったこと。上手にサボるのを覚えたこと。
生き急ぎ過ぎてると、「長い目」なんて持てないし、立ち止まる(サボる)瞬間なんて作れるはずがない。
だから、今の僕の座右の銘は「Haste not, Rest not.(急がず休まず)」。Writing Modeのサブタイトルです。

クリエイティブな業界に限らず、真剣に、真摯に自分の仕事に向き合うからこそ、考え過ぎちゃうことってあると思います。
誰だって悩むよ、そりゃ。人間だもの。でも、考え過ぎて病んでしまったら何の意味もない。
決して今の自分から逃げるわけじゃなく、でも、たまに悩みのタネから少し目を逸らさないと人間やっていられない。
世の中は単純なようで複雑、複雑なようで単純。物事は正しい理屈や理想のとおりに簡単には進まないもの。自分の考えやポリシーに反していても、我慢や妥協をしなきゃいけないことだってたくさんある。
逆に、自分にとってはほんの些細な努力が思わぬ好結果をもたらすことだってないわけじゃない。世の中、何が正しくて何が間違ってるのか、わからないことだらけ。
世の中をムダに達観する必要はないけど、多少引いた目線は必要だと思います。デザイナーって、基本は神経質なぐらいひとつのことに集中できる性格じゃなきゃ一歩上に行けないと思うんだけど、たまにはちょっとルーズに、ココロをふわっと軽くしてみることをオススメします。
でないと、やっぱり病んじゃうよ。

あー。ホントにしんどかったなぁ。この3年半は。間違いなく、これまでの僕の人生のなかで暗黒時代と呼べる期間でした。
でも、そこを乗り越えたぶんだけ強くなったし、優しくなれた気がする。今後は少しずつ無理せず、いろんなチャレンジをしていこうと思います。
この場を借りて、ご迷惑をおかけした皆さん、心配してくれた皆さん、応援してくれた皆さん、ゴメンナサイ&ありがとう。病気を言い訳に何かを拒否したり、逃げたりしたことはほとんどなかったはずだけど、結果として自分に対して気を遣わせてしまった人たちには、ホントに申し訳ない気持ちでいっぱいです(謝って済まないこともあるよね。知ってる)。

ちょっと長引いてしまったけれど、この春、やっとスランプを抜け出してひとつ上のステップに行ける気がしています。急がず休まず、きっと3年半の遅れを取り戻してみせるよ。

Comment / Trackback (2)

  1. @sweetchic75

    妥協って言葉好きじゃないけど、少しは楽に生きてみても良いのかな…と、偶然見つけたこの方のブログを読んで思いました。。
    http://t.co/rql0ZUIj5Y

    混んだ電車に乗ると吐き気するのがずっと続いてて、私はまだここまでじゃないけど、似てるなと思って共感したのです。。

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  2. @kewpie_design

    たまに見ていたブログを書いてるデザイナーさんも同じ病気だった / “3年半、ずっと「パニック」だった - 食と暮らしのエトセトラ - Writing Mode” https://t.co/uVITXR4zOL

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