よく学びよく遊べ

『江夏の21球』に学ぶ

ノンフィクション作家、故・山際淳司の代表作『スローカーブを、もう1球』。
同作品に収められた短編小説のひとつ『江夏の21球』は、プロ野球日本シリーズで絶体絶命のピンチと千載一遇のチャンスに遭遇した人間たちの、心理戦も含めた名勝負を描いた不朽の名作。
最終的に勝負を分けたのは一瞬の判断とそれを支える卓越した技術。
そして、わずか30分弱(21球)の間で人の心は大きく揺れ動き、そのことが試合の流れにとても大きく影響していると感じられるのが同作品最大の魅力。
もはやスポーツを超越した一種の人間ドラマが、江夏の21球のピッチングに垣間見えるのです。

島のリリーフエースだった江夏豊が1979年の日本シリーズで近鉄相手に投じた21球は、今なお日本プロ野球界屈指の名場面と言われています。
この短編小説のほか、NHK特集でドキュメンタリーとして映像化もされてきました。

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球団史上初の日本一を目前に、近鉄に対して4対3の1点リードで迎えた広島の9回裏の守備。
マウンドに立つのはストッパーの江夏。7回途中からマウンドに立ち、2イニングを無失点に抑えて迎えた9回。
完全に勝ちパターンの広島は、ここでまさかのノーアウト満塁の大ピンチを迎えてしまいます。逆に近鉄にとっては同点どころか一気に逆転サヨナラの大チャンス。
試合の流れと状況を考えれば、ここで1点も入らないことは考えにくいし、むしろ逆転サヨナラのパターン。しかし、江夏はここから見事なピッチングを見せ、1点も与えずにピンチを切り抜けて、広島は見事に日本一を達成するのです。

特に1アウトからスクイズを見破り、咄嗟の判断でカーブボールをウエストしたシーンはこのゲームのハイライト。
瞬時の決断力とその決断を叶える技術の高さはプロスポーツ選手の真骨頂。
江夏の集中力を極限まで高めさせたのは、ブルペンに走る控え投手を横目に見て冷静さを失った彼の怒りを鎮め、再びゲームへと集中させたチームメイト・衣笠の一言。
わずか一言であっても、言葉は人に対して偉大な力を持つことがよくわかるシーン。
一方で、抑えの大エース・江夏のプライドを優先するより、試合が延長戦に入ることまで見越して控え投手をブルペンに走らせた古葉監督の冷静な判断にも、僕はとても共感できるのです。

エースとしての「覚悟」

グラウンドでもっともスポットライトの当たるポジションがピッチャー。いい意味で、自惚れやプライドがなきゃ務まらない

野球においてピッチャーというのは、花形のポジション。
しかも、プロ野球チームでエースにまで上り詰めた選手のプライドの高さがいかなるものかは想像もつかないけれど、野村克也が言うように、ピッチャーというポジションは「自惚れ」が強くなければやれないのだろうと僕も思います。

野球選手、とくにピッチャーは自惚れが強いから、嫉妬も当然強いのです。ライバルより… : 【頭脳派】知将、野村克也の人生が変わる名言集【野球】 – NAVER まとめ

「オレがやる」「オレにはできる」「オレだけができる」という意識を持つこと自体は、とても重要なことだと僕は思ってます。
もちろん実力が伴ってなければタダの勘違いになっちゃうんだけれど、そういう意識があるからこそ実力が伴ってくる側面もあるわけで、自分自身が高みをめざす努力を続けている途中なのだと自覚していれば、プライドが高いのは決して悪いことじゃない。

そういう意味で、9回裏ノーアウト満塁の大ピンチだって、「この場面もオレに任せてくれるでしょ?」「オレが打たれたとしたら仕方ないでしょ?」と思う江夏の気持ちはじゅうぶんに理解できます。
逆に言えば、江夏は絶体絶命のピンチを自ら招いておいてさえ、自分がそれを乗り切る立場なのだという決意とともに、最善を尽くして敗れたのなら仕方がないのだ、という覚悟ができている。
「オレしかいない」というのは、この場合、単なる自惚れではなく自信と責任感の表れでもある。

「覚悟」っていうのはとても重要で、負けるかもしれない(負ける可能性のほうが高い)状況下での「覚悟」は決して誰にでもできるものではないと僕は思ってます。
なぜなら、世の中には敗戦から「立ち直れる人」と「立ち直れない人」がいるから。
基本的に「覚悟」ができる人は、「自分は敗戦から立ち直ることができる」という自信がある人。こういう人は、たとえ負けたとしても敗戦から多くを学び、次の試合で勝利をめざして戦えるのだと思います。
一方で、負けることを恐れてそもそも試合に出たがらなかったり、負けたことから目をそらして次の試合から逃げてしまう「立ち直れない人」もいて、僕はその心境も理解はできます。
人の心は意外と簡単に折れてしまう、とても繊細なものであることを僕なりによく知っているつもりだから。

ただし、実力や運、身体と心のコンディションなど、いろんな要素を踏まえて物事に対して自分なりの「覚悟」を決めていかないと、事態は何も前に進まないと思うんだ。
負けないゲームばかり選んでいても成長はないというのを知ることと、「連戦連敗しなければ大丈夫」という軽い気持ちが持てればいいんじゃないかな。

エースを蘇らせた一言

さりげない一言に救われることもあれば、傷つくこともしばしば。人はみんな繊細なんだと思う

そんな「覚悟」を持って試合に臨んでいる絶対的守護神の江夏が、控え投手の姿をブルペンに見たら「監督はオレを信じてくれてないんだな?」と感じてしまうのも無理はないでしょう。
この場面で、怒りというか、嫉妬というか、とにかく冷静ではいられなくなるような、いろんな想いが込み上げてくるのは人間として当然の心理。

一方で、古葉監督はこのピンチを江夏に託しながらも、同点に追いつかれた時の延長戦を見据えて控え投手をブルペンに走らせたわけで、一人の選手のプライドよりもチームの勝利を優先する監督としての責務を冷酷なまでに遂行しています。
ビジネスで言えば、この冷静な視点がマネージャーには少なからず必要なはずで、少数のプレイヤーの心情を優先させるような決断は、結果的にチーム全体に不利益をもたらす可能性を持っている。
時に「仕事は仕事」という割り切りが必要な場面もあるということです。

とは言え、僕は結局のところ「人」が一番大切だと思うので、エースプレイヤーのプライドを踏み躙るような決断は、今後はそのエースとの確執を覚悟するという意味で、監督として究極の英断だと思ってます。
「選手権(=日本シリーズ)っていうのは(ペナントと違って)3時間のゲームじゃないんですよね」と、後に古葉監督もインタビューで述べている通り、このゲームに負けたら次はない(日本シリーズ最終戦で負けるということはシーズン終了を意味します)からこそ、古葉監督はここでブルペンに控え投手を走らせたわけです。
おそらくペナントレースの1試合であれば、この後のゲームでも江夏に活躍してもらう(高いモチベーションを持ってもらう)ことを考えて、ブルペンに控え投手は走らせなかったに違いない。

さて。そんな怒れる江夏を救ったのは1塁手だった衣笠の一言でした。

ブルペンはブルペンでいいじゃないか。ボールを持っているのはお前なんだから、お前らしさを出して、打たれるならスッキリ打たれてしまえ

衣笠は、「江夏が中途半端な気持ちのまま投げて、負けることは許せなかった」と語っています。
一方、声をかけられた江夏は、衣笠が自分と同じ気持ちでいてくれることに対して、素直に「嬉しかった」と言っていて、同時に「開き直った」とも語っています。

負けるなら気持ちよく負けよう。ボテボテのヒットや外野フライで点を取られるぐらいなら、真芯でライナーを打たれてキレイに負けたかった

プライドの高い孤高のエースだって、所詮は人間。自分に理解を示してくれる人の、ちょっとした一言で精神的に立ち直ったりするものなんだと思うのです。
よくも悪くも、言葉が持つチカラはとても大きいことが伺えるエピソードで、僕も教訓にしたい。

ピッチャー出身の名監督は少ないという事実

選手と信頼関係を築き、チームを勝利に導くのが監督の責務。言葉にするのは簡単だけど、決して誰にでもできることじゃない

2年ほど前、『スローカーブを、もう1球』に収められた別の短編小説『背番号94』に関するエントリーを書きました。
今でも、プレイヤーとしての僕の考え方はこの時とまったく変わらない。自分なりに「やりきる」「やり抜く」ということは大事にしているつもり。

『背番号94』に学ぶ – よく学びよく遊べ – Writing Mode

一方で、自分にしかできないことをいつまでも抱えていても仕方がなくて、自分ができるようになったことは仲間に教え、伝えていかなければなりません。野球選手がいつまでも現役選手でいられるわけじゃないのと同様に、デザイナーもいつまでも現場のプレイヤーでいられるわけじゃない。
ある程度プレイヤーとして成熟してくると、否が応でもマネージャー視点を持たざるをえないわけですが、いざプレイングマネージャーのような立場を経験してみると、ここでひとつ大きな葛藤が生まれてきます。

それは、エースとして最後まで自分の責任でマウンドを守り切ろうとする江夏の想いと、冷静に試合を分析しながら次の一手(控え投手)をブルペンに向かわせる古葉監督の想いは基本的に相容れないという事実。
プレイングマネージャーは同時に選手・監督両方の立場に立つわけで、この葛藤に上手なバランスを見出す必要があると感じます。つまり、自分に厳し過ぎても甘過ぎてもダメだということです。

ちなみにピッチャー出身の名監督は少ない、とよく言われます。
それは何となくわかる気がしていて、江夏のように繊細でプライドの高い人間が監督をやった場合には、ピッチャーを交代するという決断が鈍ってしまうんじゃないかと思うんです。人の「痛み」がよくわかるが故の躊躇というのが、やっぱりあるのでは。
冷徹になれることも名将の条件のひとつだとすれば、ピッチャー出身の名監督が少ないのは頷けます。

ベストなのは、大事な局面でエースを交代させたとしても、引き続きその選手との間に深い信頼関係を築いていられることなんだと思う。時には冷徹さも大事だから、冷酷な采配を受け入れてもらえるほど、選手にその決断を支持される監督であることが理想です。
話が巡り巡って戻ってくるけど、だから結局のところ監督として一番大事なのは「人」として選手の気持ちを理解し、選手を大事にする(育てる)ことなんじゃないかな、と思います。
選手の心情をわかったうえで決断しているか、わかっていないで決断しているか、の違いはとてつもなく大きいんだ。

「名選手、名監督にあらず」は本当なのか?

「ペップ」の相性で親しまれるグアルディオラ。やっぱり名選手が名監督になるのが一番の理想じゃないかな、と個人的には思う

最後に話はサッカーの監督に変わりますが、現代サッカーで名将と呼ばれるジョゼ・モウリーニョにはプロ選手としてのキャリアがありません。
選手ではなく、分析、スカウティング、通訳といったキャリアで頭角を現し、第一線で活躍する指導者は増えていて、日本代表監督だったザッケローニも20歳の若さで現役生活を終えています。

ジョゼ・モウリーニョ – Wikipedia

モウリーニョは名選手ではなかったからこそ、名監督になりえた典型かもしれない。
時に冷静かつ冷酷な采配でチームを勝利に導き、中心選手との確執が取沙汰されることも多い。また、彼の守備的な戦術は魅力的でないという批判も多い。モウリーニョはとにかく勝利に貪欲です。
ただし、ひとつ忘れてはならないのは、モウリーニョも少年の頃は間違いなく名選手をめざす努力をしていたということ。つまり、サッカーというスポーツをよく知り、選手の心理をよく理解しているということです。
なんだかんだでモウリーニョはサッカーに対して異常なまでに情熱的なんだ。だからこそ、多くの選手から信頼されている。でないと監督業が務まるはずなんてない。

ヨーロッパ・サッカー界でモウリーニョと双璧をなす名将として名高いのが、現役時代にバルセロナの絶対的キャプテンだったジョゼップ・グアルディオラです。
彼はただ単に勝つためのサッカーではなく、ボールをポゼッションして「美しく」勝つという、多くの人が夢見る理想のサッカーを貫く思想家でもある。その点は、相手の弱点を突きボールを奪ってからのカウンターを基本とし、とにかく「勝つ」ことを至上命題とするモウリーニョのスタイルとは大きく異なる。
グアルディオラのサッカーはやっぱり見ていてワクワクするんだ。

ジョゼップ・グアルディオラ – Wikipedia

ちなみに温厚と言われるグアルディオラも冷酷な一面を見せることがある。
バルセロナ監督の就任条件は当時10番を付けていたロナウジーニョの放出だったし、イブラヒモビッチやエトーといったエゴイスティックな一面を持つ選手とは基本的には反りが合わないらしい。
グアルディオラはスター選手だったけど、現役時代のポジションはボランチ。ボランチとは守備的な中盤に位置して相手からボールを奪った後、攻撃を組み立てる司令塔。チームでもっとも献身的にピッチを上下動して攻撃と守備を繋ぐ、とても重要でありながら、どちらかと言うと地味なポジションの出身なのです。
だからこそ、チームプレイを疎かにするタイプの選手とは確執が生まれやすいのかもしれない。
沈着冷静で温厚なグアルディオラでさえ、彼の理想を実現するために必要でないと判断した選手は容赦なく放出することを厭わない。

さて。長くなりましたが、結局のところ何が言いたいのかというと、選手だろうが監督だろうが、自分なりの理想と信念、そして自信と覚悟は持っていないとダメだよね、ということが言いたかったのでした。
僕がスポーツ観戦をこよなく愛するのは、たった数時間の間に人生の醍醐味が凝縮されていると感じるから。こんなに短時間に決着がはっきりとつくことって、ビジネスの世界ではそんなに多くないから、とても刺激的だし勉強にもなる。

僕は江夏のように日本シリーズのマウンドに立つことも、グアルディオラのようにUEFAチャンピオンズリーグのトロフィーを掲げることも一生ないけれど、スポーツが織り成す人間ドラマをただの傍観者として見届けるのではなく、自分の人生の糧にできればいいと思ってます。
江夏だって、グアルディオラだって人間なんだ。

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