仕事の話アレコレ

パクりパクられ。オリンピックロゴ騒動を見て思ったこと

東京オリンピックのロゴデザイン盗用問題が巷で話題になって、改めていろいろと考えさせられることが多かったこの夏。
人は何かモノを作るとき、何かしら他の作品を参考にするはず。外界から刺激を受けず、まったくのゼロから作り上げられた作品なんて、もうこの文明社会には存在しないと言っていい。
だけど我々がデザイナーとして、クリエイターとして忘れてはならないのは、何事も決して真似事に終わらせず、何かしら自分なりのプラスアルファを作っていくという意識なのだと思うのです。

しずつ熱りが冷めつつあるけれど、巷で話題のデザイン盗用問題に乗じてすごく久しぶりのエントリーを。
僕はかれこれ10年以上、グラフィックデザインやWebデザインを仕事にしてきたけれど、まったくのゼロからデザインを作り上げてきたなんてことは決して言えないと思ってます。

もちろん、僕は先人たちの作品から得たインスピレーションを、そのまま何も変えずに自分の作品にするようなことは断じてない。
けれど、何かしらのインスピレーションというのは確実にあるわけで、たとえばWebサイトを作るときは、競合サイトを調べたり、よくできたサイトを眺めたりしながら、デザインを作りあげていく。

これは何もデザインに限った話ではなく、どんな仕事にでも言える話。基本的に最初は何でも真似事から入っていくんじゃないでしょうか。
東京オリンピックのロゴ盗用問題で奇しくも脚光を浴びたデザイナーという職業だけど、誤解なきように言っておくと、僕らは常にゼロからイチを生み出すスーパーマンではありません。

もちろん、他人の作ったものをほとんど変えず(まったく変えず)に自分の作品として発表してはいけませんが、真っ白なキャンバスを前に、いろんなモノを見て、参考にして、時に楽しく遊ぶように、また時に追い詰められ苦しみながら、何かしらアイデアを捻り出して絵づくりしていくのが僕らの仕事なのです。

デザインとは最適化すること

アーティスティックな作品が決して嫌いなわけではありません(むしろ好き)。アート作品から得られる刺激は多いから、美術館は頻繁に訪れるようにしています

デザインはアートではありません。
自らの内面にある葛藤や苦悩、喜びなどを作品としてアウトプットするのがアートだとすれば、デザインにはもっと現実的な側面があり、自分のためというよりは他人のための要素が強いものだと言えるんじゃないでしょうか。

商業デザイナーとして遅かれ早かれ突き当たるであろういくつかの壁 – 仕事の話アレコレ – Writing Mode

たとえば、僕が仕事として制作するWebサイトには、企業価値向上、問い合わせ数増加、売上UPなど、さまざまな目的があります。そしてそれを実現するためには、できる限り多くのターゲットに対して「刺さる」デザインが必要になります。
コンバージョンボタンはどういうデザインだったらクリックされやすいか。スマートフォンで閲覧するユーザーにとってストレスを与えないレイアウトとはどんなものか。文中のアンカーテキストはどうデザインすればリンクだと認識されやすいのか。
当たり前の理屈だったり、暗黙知は踏襲すべきだし、そもそもの目的から逸脱する可能性のある個人的な「好み」でデザインを作るのはプロではないと思う。いろんな要素に、なぜそのカタチなのか、なぜその色なのか、ロジカルな裏付けが必要になります。

ロジカルにデザインを作っていくということは、言うなれば「最適化」を行うということ。
無駄な要素を省き、できるだけ少ないエネルギーで高い効果を生むことを理想とするならば、デザインはシンプルになっていき、似たものも生まれやすくなる。
そして、きっとそれは驚きの少ない「普通」のデザインになるでしょう。

最適化するというのは、普通にするということ。

ロジカルなだけでは新しいものは生まれない

誰かに何かを伝えるためにロジックは必要。しかし、物事は理屈通りには進まないものなのです

デザインは「普通」を作っていく仕事だと書いたけど、それは新しい価値を世の中の普通にしていくという意味も含まれます。なかなかそんな仕事は成し遂げられないのが現実だけど。
前回のエントリーにもちょっと通ずる話だけれど、あまりロジカルに、現実的に目の前の課題を考え過ぎると、新しいモノは一切生めなくなってしまう。

クリエイティビティの磨き方 – 仕事の話アレコレ – Writing Mode

歴史を振り返ってみたり、データを分析したりするのはとても大切なことだけれども、ときに思い切って予想のレールを外れるような冒険をしてみることも必要かもしれない。
誰がどう考えても当たり前のことを忠実に実行に移したとしても、それはしょせん想像の範囲内の結果しか生まないでしょう。前提を疑うことだって時に重要なんじゃないでしょうか。

デザインは理屈だけではない。というか、仕事は理屈だけではうまく回らない。
結局、人が人のために人と一緒にやることなので、どうしても理屈では片付けられない人間的な要素が出てくる。
だからこそ、面白い。
ときにデザイン以外の「何か」だったり、言葉では説明のつかない「何となく」の感覚だったり、多少バカげていても他には存在しないということこそ(それだけ)が価値となっていくのもまた事実。

突拍子もなく尖り過ぎちゃダメだけど、どこか少しでも自分なりに尖った部分(オリジナリティ)を作ろうと考えることはデザイナーに必要不可欠なマインドなんだと思う。

大切にしたいのはクリエイターとしてのプライド

プライドは高過ぎてもダメだけど、無さ過ぎてもダメ。自分にしか作れないモノを作ろうとする努力は当然必要

僕は細部にとてもこだわる気質だから、わかる人にだけわかってもらえればいい、というふうに考えてしまうことも多い。仕事柄、マーケット視点で物事を考えていくと自分のカラーを出すのが難しくなると思うから、どうしても自分視点で、微細なところで勝負しがちになる。
ただし、そうした考えは行き過ぎてしまうとビジネスでなくなってしまうことはよく理解しておかなくちゃいけない。より多くの人にわかってもらえるようにすることが、仕事として求められることなのだから。

だから、デザイナーとして大切にしたいのは、「素直さ」と「頑固さ」の間で上手にバランスをとって物事を考えていくこと。
自分が作ったものをより多くの人に見てもらい、評価してもらいたいと思える素直さがなければ、そのデザインは誰に対しても刺さらないものになる。
一方で何事も人真似で終わらせず、ときにリクエストとは少し違ったとしても自らの意志を貫く頑固さがなければ、いつもどこかで見たことがある特徴の乏しいデザインしか生めなくなってしまう。
「頑固」と言うとネガティブな響きがあるけど、自分を曲げない強い意志を持つというのは、ポジティブに言えば自分にプライドを持つということでもある。
デザインとアートは違うと書いたけど、デザインにだって自分の内面にある自分だけの想いを表現せんとするアートの要素はあるのだと思います。

高度な情報化社会とは、言うなれば人それぞれが自分の欲している情報(物事)について、より早く深く長く接することができる社会。そうやって価値観が多様化すればするほど、いろんな角度からいろんな意見が出てくるわけだから、オリンピックロゴのようにあらゆる人を対象にしたシンボルを作りあげるのは難しくなっていく。
だからこそ、自分の感性や感覚に対して責任とプライドを持ってデザインを生み出していく覚悟が必要だと思うわけです。

オリンピックのロゴが盗用だったのかどうかは結局わからない。けど、今回の騒動を遠巻きに見ていて、ふとそんなことを考えた2015年の秋でした。

Comment / Trackback (1)

  1. @RSSbyLovesnaej

    パクりパクられ。オリンピックロゴ騒動を見て思ったこと https://t.co/eRVc9sGYVG | Writing Mode

    Twitter

Leave A Comment

Address never made public