商業デザイナーとして遅かれ早かれ突き当たるであろういくつかの壁
グラフィックデザインをやっていた20代前半の頃、刷り上がった見本誌をもらって自分が作ったページを見ては、いつも「ここはこういう風にデザイン(レイアウト)しておけばよかった」とヘコんでばかりだった。
今でも「なんで、こうやって作らなかったんだろ」という自己嫌悪は、常に「オレが作ったデザイン、カッコいいだろ?」という自信と同居していたりするんだぜ。
デザイナーは誰だってそんなふうにして成長していくんだ、と僕は思うのです。
仕事としてデザインをしていると、当然ながらコストや時間を考えないわけにはいかず、限られた条件のなかでアウトプットを生み出さざるをえないので、ある種の開き直りも必要。
「自分でもイマイチなデザインだと思うけど、素材も時間もないから仕方ないよね」とか、「予算がなくて自力でやりきるしかなかったから、機能や動きはちょっとイマイチだな」とか。
ベストコンディションを整えられることは実はそうそうないので、諦めも肝心だったりする。
だけど、言い訳ばかり並べて自分のアウトプットに対して反省がまったくなくなってしまったら、その瞬間に努力なんてしなくなるに違いない。
極論すれば、「同じ条件下で自分よりもうまく作る人なんて絶対にいない」と本気で思えるのなら、もうその人に成長ののびしろはないということです(それか、ほんとに世界一優れたデザイナーなのか)。
僕はもうちょっとカッコいいモノを作りたいし、成長もしたいから、反省は常に心のなかにある。しかし一方で、最近はデザイナーとしてだいぶ成熟してきたという実感もあったりします。もう、33歳なのでね。
だから、デザイナーとしてのここからののびしろはそう大きくはないだろうな、とも思う。技術的にも、肉体的にも、精神的にも。
今日は、そんな自称「ベテラン」だからこそ言えることを、あえて言葉にしてみたいと思うのです。
若手デザイナーに捧ぐ、僕なりのエールのつもりで。
自分がほんとに作りたいモノなんて、なかなか作れない
生温く働くつもりは決してないけれど、基本的に楽しくなきゃクリエイティブな仕事なんてやれないと思うのです
デザインを仕事にしてみて一番最初にぶつかる壁が、自分のやりたいようにやれる仕事なんて、そうそうないということ。
僕らは別に「アーティスト」ではないので。
いや。アーティストですら、お金を稼ごうと思ったら世のニーズをまったく気にせず我が道をいく、なんてことはできないはず。そもそも「売れるモノ」と「いいモノ」は必ずしもイコールではない。
こんなこと書いて「何を子ども染みたことを」と自分でも思うけれど、純粋に絵を描いたりモノを作ったりするのが好きな人間が、デザインを仕事にして一番最初にぶつかる壁はそこな気がします。
上述の通り、ビジネスとしてのデザインにはいろんな制約がある。限られた条件のなかで表現する術を磨き、そしてそこに自分なりの楽しみを見出せるかどうかが重要だったりする。
別に「そんなに悪い条件(制約)じゃないぜ」と今の僕は思う。お金もらって、自分が得意で好きなこと(に近いこと)をやらせてもらっているわけだから。
楽しめ、仕事を。楽しまなきゃ、この先絶対に続けられない。
デザインに「正解」も「勝ち」もない
色に関して言うと、男性よりも女性のほうが感性が鋭いと思う。男性はカタチから、女性は色からデザインする人が多い気がします
デザインの善し悪しなんて、最終的には「好み」の問題だと僕は思ってます。Aさんにべた褒めされても、Bさんにはけちょんけちょんに貶される、なんてことは決して珍しくない。
青い空は、みんなにとって同じように青く見えているわけではないのです。きっと。
Aさんにとっての「青」とBさんにとっての「青」はもしかして違う「青」かもしれない。僕は、Aさんの目もBさんの目も持っていないから、彼らの言う「青」がどんな色なのか、結局のところ正確にはわからない。
そして僕にとっての「青」は、あくまでも僕だけの「青」。
結局、何が正しくて何が間違っているかなんてよくわからないし、デザインの評価はビジネスが成功したかどうかの結果次第で決まることがほとんど。
「A案、B案の2パターン出せ」なんて言われる場合、経験上、自分の推しでないパターンが採用されるケースは決して珍しくないのです。
もちろん、デザインの判断基準は純粋にビジュアルだけでなく、表現の意図や手法など、いろんなものを勘案したうえで決まるものだから、「ビジュアル」として完成度が高いかどうかと「デザイン」として完成度が高いかどうかはまた別の話だけど。
だけど、どんな人にも深い理由のない「好み」ってあるよね、と僕は思う。
デザインという仕事は究極的に言えば、世の中の「好み」に合わせてモノを作る仕事なわけですが、あんまり漠然とした「世の中」に寄り添おうとし過ぎると、何の個性もなくなるので、そのへんのバランス感覚はすごく難しい。
個人的にはちょっと尖ったデザインを作りたい。でも、何かしらビジネスとしての価値を生み出さなきゃ、という意識は同時に持っていたい。
決して尖り過ぎちゃダメ。でも、どこかにオリジナリティは発揮せよ。
努力だけではどうにもならないものもある
Amazon.co.jp: 諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない 電子書籍: 為末 大: Kindleストア
いい意味で「諦め」は必要。最近読んだ為末大の『諦める力』は、いちいち納得させられることが多い1冊でした
僕は子どもの頃から絵を描くことが好きで、それなりに絵を描く能力には自信もあったけれど、大学入学を前に自ら「絵を描く」ということは一旦諦めました。
自分には「アーティスト」としての才能なんてない、と勝手に判断したのは高校生の頃ですが、その判断自体が間違っていたとは今でも思っていません。努力ではどうにもならない(または努力をまったく苦にしない)天才的な才能を宿した人は確かに存在すると思っていて、僕には絵を描くことにそこまでの才能はなかった。
どれだけ好きでも、努力しても、うまく描けないものは描けない。
努力すればいいってもんじゃない、というポジティブな「諦め」(見切り)も時に必要なんだと思う。努力してもダメなら、別の道を探す。勝てないゲームをやり続けるより、勝てるゲームを探せばいい。
僕の場合、大学で広告やマーケティングを勉強して、将来はクリエイティブな業界で何かしらモノ作りの一端を担えればいいと思ってました。
結果的に自分の手でモノを作るということを諦めきれず、「絵描き」ではなくデザイナーという職業を志したわけですが、周り道をしたぶんだけそれなりの苦労もしつつ、今では僕ならではの強みもそこにある気がしています。
そして今、デザイナーとして後進の指導や育成ということも少しずつ経験してきて感じるのは、努力次第で誰でも一定の技術は身につけることができる。ただし、教えてどうこうなるものではない「センス」というものはやっぱりどこかに存在する気もしています。
だからこそ、ムダに焦る必要はなくて、頑張り過ぎる必要もない。等身大の自分は見失わずに、自分なりのペース配分は守ったほうがいい。
僕もデザイナーとして自分自身にそこまでの「センス」があるとは思ってなくて、いい意味で自分を信用してない。だから、別にWebデザインに固執することなく、数年後はWebなんて作ってなくてもいいや、ぐらいの気持ちすら持ってます(結局、Webデザイナーやってるかもしれないけど)。
一応断っておくと、決して本気で仕事してないわけじゃないし、デザイナーとしての自分にだって「それなり」の自信はあるからね。
あくまでも、そのぐらい気持ちを軽くすることも必要なんじゃないか、ということです。
実技はいつか衰える。そのあと大事なのはそれ以外の部分
肉体的なエネルギーを要するスポーツと違って、デザインはとても精神的なエネルギーを消耗する仕事だと思う。肉体も精神も歳をとれば衰えるのは当然。そうなった時に自分に何ができるのか
なんとなくスポーツ選手と似てるなと思うけど、デザイナーのピークは20〜30代じゃないかと僕は勝手に思ってます。肉体的にも精神的にも充実し、よく遊び、よく働く世代がデザイナーとしてもっともパフォーマンスを発揮できるんじゃないかと。
一般的なビジネスマンからすると、若い年齢でピークを迎える職業なんじゃないでしょうか。
肉体も精神もいつまでも若々しく「生涯現役」を志しつつ、この先、デザインに関する実技や情熱はどうしたって衰えていくだろう、っていうのは僕自身、何となく感じてます。そして、そうなった時に自分にできることが一体何なのかは今から何となくでいいから考えといたほうがいいかな、と。
お金や法律、プレゼンテーションや交渉術、マネジメントやリーダーシップ、ひいては肉体や精神のコンディション調整法まで、デザインの延長にはいろんな物事があります。そして、どれも仕事をしていればより深い知識を持たなければいけないことばかり。
大事なのはデザインというベースのスキルを高めつつ、それ以外の知識や技術を肉付けしていくことだと思うけど、いずれにしても「デザインしかやらない」という仕事の仕方は非常にリスキー。自分の可能性を狭め過ぎ。
数年後、Webデザイナーという職業は世に存在してるかどうかなんてわからない、ぐらいに考えてデザイン以外の何かを肉付けしていくことを若いうちから意識しておいて損はないはず。
つまりはデザインや仕事が人生のすべてではない、ってことです。
ただし、デザインや仕事をサボる逃げ口上のようにそういった言葉を発することを、僕はしたくない。あんまり世の中を達観し過ぎるのもよくないので、あくまでも心のどこかにそのぐらいの「余裕」を秘めていることが大切かな、と。
最近の僕は漠然とそんなことを思いながら仕事してます。もちろんデザイン仕事を中心に。
こう書いてみて、結局ある程度年齢を重ねて経験を積んでも、自分なりのマインドは子どもの頃や学生時代とそんなに変わらないんだと思ったよ。いいんじゃないかな、それで。
いくつになっても「オレはオレ」。
そんなわけで、僕も少なくともあと数年は20代には負けないぞ、ぐらいの心意気でデザインを追求していく所存なのです。さて。今週も働くか。
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